2006年12月 7日 (木)

不本意。細木数子だのみ。

6日午後2時PET検査結果。「明らかな転移再発を認めません」

この日は朝から気付くとため息ばかり。しっかり寝たつもりなのに頭がボーッとしていた。

朝食の準備をしたり洗濯物を干したり、毎朝の作業を機械みたいにして、その後はまたボーッと何も手に付かない。テレビはずっとつけっぱなしになっていて…

細木数子の運勢の番組をやっていた。

「今日、最も運勢がいいのは金星人プラスの人」と小耳にはさむ。

私は本当は占いがキライ。雑誌の星占いも読まない。でも自分が金星だってことは、誰かに言われて知っていた。

えっ!?それで私はプラス? マイナス?

すぐにパソコンに飛びついて「細木数子」検索。生年月日を入力すると出てくるサイトがあったので即入力。

結果。私は「金星人プラス」。今日いちばん運勢がいいヒト!?

占いなんてキライって言っておいて、しかも大嫌いな細木数子に頼ってしまうなんて…。

“あ~、細木先生。どうぞ、どうぞよろしくお願いします!…私はとても弱い人間です。”

今日までいろいろ考えた。「抗がん剤がスタートする前に、髪をショートにしよう」「長期になるようなら、つむじを弟に預かってもらおう」「セカンドオピニオンを探そう」「転移した場所にもよるだろうけれど、がんと共存し、できるだけ楽しいことができる状態にしてもらう道を選択しよう」とか。masaに話すと、どれも否定せず同意してくれた。masaも覚悟を決めていた。

がん治療後約3年。「死刑」か「執行猶予2年の懲役刑」か…。「白」か「黒」か…。おおげさではなく判決が下される日だった。

待合室でひとり、誰かに手を握っていてほしかった。

名前を呼ばれ、診察室のドアは開けられたけれど、その場に立ち竦んで、私はドクターをにらみつけていたかもしれない。

「僕の顔色、見てないで」と言うドクターに笑顔はない。血の気が引いた。

ドクターが差し出した紙を覗き込むが、目があちこち動いて文字がまったく読めない。

いろいろ書いてあるし…。

「なんて書いてあるか、わかりません」というと「異常なしってことだよ。おめでとう」と…。

ジワッと涙があふれる。

ついこの間、腫瘍マーカーの定期的な上昇を見て「再発か転移以外、他の原因は考えにくい」とハッキリ言ったドクターも、肩の荷をおろしたようだった。

こうして私は大ピンチを乗り越えた。

「なっちゃんは生きなさい」

一緒に病気を治そ126うとしたのに、天国に行ってしまった大好きな人の、その言葉をまた聞いた気がした。「気を緩めちゃだめってことよ。これをきっかけに、仕切りなおして頑張って生きていくのよ」という戒めだったのかもしれない。

masaが会社の帰りに花を買ってきてくれ、ワインで乾杯をした。

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2006年11月22日 (水)

PETを受けてきた。

今日、約2年ぶりにPETを受けた。

それって何? というヒトに一応説明。

「極わずかな放射性同位元素を含んだ検査用ブドウ糖を静脈注射する。その後、全身の臓器、組織に集まる様子を撮影して、悪性腫瘍や炎症の有無・範囲などを調べる。がん細胞は、正常細胞に比べて多くのブドウ糖を細胞内に取り込んで消費する。この性質を利用して、ブドウ糖が多く集まる場所を突き止め、発育の早いがんを発見する」

これが「ポジトロン断層撮影法」いわゆるPET検査。

前回2年前はまだPETのある施設が少なく、新横浜のはずれのクリニックまで行かざるを得なかった。しかも費用は10万円!でも、一度に全身のガンがチェックできるPETは、治療後1年の安心感を得たい私と家族には必要なことだった。

その後、PETが完璧ではないことがメディアなどに取り上げられた。けれどいま現在、がんがどこにできてしまったかを確実に発見できる検査は、ひとつもないらしい。だから自分がいつも危機感を持ってドクターと相談し、できる検査をひとつひとつこなしていくしかないと思っている。

今はPET検査ができる施設が増えた。私が行ったのは新宿某所のクリニック。しかも我々のような治療後の検査では保険も適用されるようになり、費用は3万円!それでも高価だが、10万円と比べたら打撃はまったく違う。

今回は腫瘍マーカーの値が上昇し、一度は下がったけれど本当に安心していいのか、確認するための大切な検査だ。

主治医の元に寄り、CTを焼いたCD-ROMと同意書、診断書などを受け取ってから向かう。

前回の施設でも感じたけれど、セレブな(使い慣れない言葉)雰囲気で、私みたいなのは居心地が悪い。「●▲さま、こちらでございます」なんて、白衣じゃなく、スーツ姿に昔のスッチーみたいにスカーフヒラヒラ巻いた女性がいちいちていねいに誘導する。スタッフも異常に多い気がする。

私なんかは「そんな過剰なサービスいらないから、安くしてよ」って思うけれど、逆に「高い金払ってんだからサービスしろやぁ」ってヒトもいたりするのかもしれないな。

PET検査の全行程は約2時間と長い。静脈に薬を入れてから全身にまわすまため1時間安静。そして検査が約30分。その後も放射能の減衰を待つため、20分くらい休憩する。なぜ安静にしなくてはならないかというと、体を動かすとその部分に薬が集まって、がんと紛らわしい画像になることがあるかららしい。

安静室はひとり3畳くらいの半個室。リクライニングチェア、タオルケット、ミネラルウォーター、テレビも見られて快適。時間は午後3時。検査のため昼抜きで腹ペコだったので、ローカル局のラーメン特集番組を見ながら、よだれを流して寝てしまった(昨日、仕事であんまり寝てなくて…)。

都心部でこんなに快適に休めるなんて、カプセルホテル(行ったことないけど)なんかより全然いいんじゃないの?ずっといてもいいよ…なんて私は思っちゃったけれど、「いつまでいればいいんだよ。早く出せ」って怒ってるおじさんの声が聞こえた。

病気が心配なうえ、体内にたっぷり薬を入れられて、ヘンなとこに閉じ込められて、さらに長い検査。きっと参っちゃってるんだろう。ヒトの感覚として、私よりおじさんのほうが正常なのかもしれないと思った。

検査中もぐっすり寝て、時間はあっという間に過ぎた。終了時間17時。朝8時から食止めだからもうお腹グーグー。外に出て一番近いカフェに駆け込んだ。今日は私が長く外出するから、つむじのためにmasaが早く帰ってくれている。本当は早く帰って、夕食を作って一緒に食べればいいんだけれど、私のお腹はどうにも家までもたなかった。

買い物して家に帰って簡単におかずを作り、masaに延々PETの話をしながらビールと芋焼酎を飲んで、さっき軽く食べたのに、またまたゴハンをたらふく食べた。

なんだか今日のゴハンは気分的においしかった。

検査の結果は12月6日。

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2006年11月16日 (木)

心配かけてごめんね&ありがとう。

昨日の採血の結果、少し腫瘍マーカー下がりました。憂鬱な1週間だったけれど、少し安心。

実は今日明け方、高熱と腹痛、吐き気に襲われ、病院で点滴受けてきましたが、今もちょっとしんどい。

でも前のブログを読んで、心配してくれた友人から電話やメールをいただきましたので、とりあえず採血結果のご報告。

復活したら改めて更新します。

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2006年11月 9日 (木)

新たなピンチ。

この2年9ヶ月、CTの結果発表はもう何度も何度も経験したけれど、毎回慣れない。

私の前の人が診察室から出て、待合室にいる私が呼ばれるまでいつもよりも時間がかかってしまったりすると「ドクターは私のCTのデータを見て、頭を抱えているのでは?」と想像する。

そんなことを考えているときに名前を呼ばれると、気持ちの中ではアニメや三流ドラマみたいに椅子から飛び上がって立っちゃう感じだ。

診察室のドアをたたくときは、ボーッという変な音と共に、心臓の大きな音だけが聞こえる感じ。他に何も耳に入らない。プレゼンテーションするときの緊張感とは全く異なるイヤな感じ。

でもありがたいことに、今までずっとクリアしてきた。

ところが11月8日水曜日。先月の採血の結果発表。

γ-GTPが若干上昇気味なので(他は完璧!)、今日の結果次第で、お酒控えなくちゃなぁ…なんて、気軽に、まったく無防備に診察室に入った。

モニターに結果が出る。

「あっ…。腫瘍マーカーが上がってる!」とドクター。

前々回は0.7、前回は1.2。今回は1.5。私はそんなに大きく変わらないじゃない…と思ったけれど…

「かなり悪い数字なんですか」と聞いたら、「数字はそんなに高くない。問題なのは、ここ数回、毎回上昇しているってことなんだよ。再発で、腫瘍は急に大きくなるわけじゃない。徐々に大きくなっていくから、上昇しているのは腫瘍ができてきているってことをあらわすんだよ。うーん。先月のCT、大丈夫だったよね? なんでだろう…」とドクター。

「他に原因があるってことはないですか」

「ほぼない。考えられるとしたら、扁平上皮癌ができる他の場所に癌ができてしまったってこと。食道とか、咽頭とか、皮膚とか…」

ここまで話を聞いて、ようやく体が小さく震えた。

ドクターは、「サイハツ マタハ テンイ。ホボ、カクジツ」って言っている!?

内診と再採血。結果は来週水曜日。どんな結果であれ、来週はPETの予約を入れてもらうことになった。

診察室を出て、すぐ頭に浮かんだのは、まだ小さなつむじのこと。

パンズは私が子宮癌手術の後遺症、リンパ管炎になったばかりに、生まれてわずか3ヶ月でほぼ丸1ヶ月の間、平日はペットホテル生活だった。とてもかわいそうな思いをさせた。

だからつむじを家族に迎えたとき、ゼッタイにもう入院はしないと心に決めた。

つむじまで同じ目に合わせたくない。

スポーツクラブで限界ギリギリのウエイトをセットして、ボディパンプやってる私が…腹筋120回やってる私が…なぜ癌?

こんなに健康なのに。

今は誰よりも体力があると思ってるし、玄米で野菜中心のバランスのいい食事だってしているし、体脂肪だって体重だって適正だし…。

思えば、今までだって一度も癌の辛さを実感していない。辛かったのは癌ではなく、術後の様々な訓練や、リンパ浮腫やリンパ管炎といった治療の後遺症だ。

私は本当に癌なのだろうか…と思うけれど、

やっぱりまた癌なんだ…。

病院を出た後、masaに電話して話したら、すぐに家に帰ってきてくれた。気持ちの行き場を作ってくれる。どれだけありがたいことか…。

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2006年5月 9日 (火)

疑似五月病。

最近、仕事で五月病の記事を書くことになり、いろいろ調べた。

この病気、新社会人や学生など、新らしい生活をスタートした人がかかりやすいらしい。新しい生活に夢中になっていた4月が過ぎ、ゴールデンウイークが終わった頃から、それまでの疲れがドッと出てしまったり、人間関係がうまくいかなかったり…。また、競争率の高い一流企業に就職できたはいいけれど、いざ仕事が始まると目標を失い、仕事への関心や意欲がなくなってしまうことが原因だ。

症状は、やる気が出ない、興味・関心がわかない、不安や焦りを感じるなどの精神的なものから、食欲不振、下痢、吐き気、腹痛、睡眠障害など身体的なものまでさまざま。

フツーは1.2ヶ月で治っちゃうらしいのだが、これが長引くとウツ病に進展して大変なことになってしまうから侮れない。この場合は、早めに専門医に診てもらわなくては。

調べてる最中に思った。

これ、最近のわたしの症状と、けっこう似ているな。原因は違うけれど…。まぁ、ウツになるようなタマではないと思うけれどね。

五月病にかかったなと思ったら、とにかくまずは休むことが第一。趣味やスポーツなど、好きなことをするのがいいとのこと。でもお酒や過食に逃げてはいけない…と。

うっ…。

そうでしょう、そうでしょう。わかってますとも。

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2006年4月 8日 (土)

今夜のNHK教育テレビで。

20時から「働き盛りのがん」というテーマの番組をやっていた。

女優の洞口依子も出演して、発言していた。彼女も子宮ガンだった。時期も私とほぼ同じだった。

最後のほうで「お願いしたい、ぜひやってほしいこと」について、出演者の意見を聞いていったのだが、彼女は「リンパ浮腫外来の設置」と「女性特有の癌のケア」とボードに書いていた。その中で、番組で取り上げられたのは、「女性特有の癌のケア」について。

産科と婦人科の病棟が一緒だと、「いつ生まれるの?」と話しかけられたりして、複雑な気持ちになると言っていた。

私もよく言われたな。だんだん気にならないようになって、新生児室に赤ちゃんを見にいけるのが楽しみだから、まぁ、いいかと開き直った。でも子宮も卵巣も摘出して赤ちゃんをあきらめた人の病室の隣で、産まれたばかりの元気な赤ん坊が泣いているのを聞くのは辛いに決まっている。

リンパ浮腫のことは、残念ながら一言も取り上げられなかった。知らない人が多く、辛い後遺症。せめてどんな病気なのかだけでも話す時間をとってほしかった。そう感じた人は多かったはず。本当に残念だ。

でも発信しなくては。たくさんの人が問題提起して、変えていかなくてはいけない。その意味で洞口依子はよかった。

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2006年3月10日 (金)

リンパ浮腫の治療室、もっと気を使え。

私はプロフィールにも書いてあるとおり、子宮癌の手術でリンパ節かくせい(郭清)をした後遺症で、リンパ浮腫を患っている。去年の夏、リンパ管炎になったときは右脚が腫れたけれど、いまは左脚がひどい。膝小僧から下が特に腫れていて、くるぶしがあまりなく、右足の甲の骨のゴツゴツ感も、血管が浮き出ている感じも、左脚にはなくなっている。

何もしないとどんどん腫れる。痛みは少ないけれど、脚が膨らんでいく不安が日々つきまとう。乳癌・子宮癌・前立腺癌で、この後遺症が出た人はみんな悩んでいると思う。

でも死ぬかもしれない病気になって、死に至るわけではない後遺症が起きてしまっても、ぐっと我慢している。ほとんどの人がそうだと思う。私もそのひとり。

なるべく毎晩マッサージをするようにしている。そのマッサージも普通のものではない。皮膚を動かすように、優しくなでるマッサージ。しっかりやると30分はかかる。お酒を飲みすぎた日は面倒くさくなるし、気持ちが落ち込んでいる日はマッサージをしようとして脚を見ただけでめげる。

頼みはリンパ浮腫の治療室。そうはいっても全国にわずかしかない。そのひとつが東京、大田区にある専門学校が経営する治療室。私もお世話になっている。行けば、不安をぶつけてアドバイスを得られるし、施術してもらえば自分でやっていくマッサージも覚えられる。他に頼れるところが少ないから、腫れてどうしようもないときは藁にもすがる思いで行く。

先日その治療室からDMが届いた。

予約システムが変わったことと、料金値上げの案内。※最低料金の6000円(60分程度)が7000円(70分程度)に変わった。治療室は「値上げ」じゃないって言うと思うけれど、保険がきかないこの治療。患っている人は数少ない治療室を頼りにしているのに、「胡坐かくなよ」と思うはず。

まぁ、それはいい。

それより私が言いたいのは、そのDMの封筒の表面。

その専門学校名の後にけっこう大きな文字で「はりきゅう治療室」「リンパ浮腫治療室」の連絡先とURLが書いてあり、該当するほうにチェックを入れた後、患者に送るようになっている。

無論、私に来たDMには「リンパ浮腫治療室」にしっかりチェックが入っている。要するに私がリンパ浮腫を患っていることが封筒に書いてあるようなものだ。

この病気を患っている人は、少なからず精神的なダメージもかなり強い。なのにこのデリカシーのなさはなんだろう。これでは個人情報モレモレ。

もしも私たち患者の心がわかるのなら、この封筒はゼッタイなしだ。数少ない治療室がこれでは、私たちはどうすればいいのか。

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2006年2月28日 (火)

gym。

体を動かして、汗をかくのがスキ。無心になれるから。いろいろ悩みがあるときや、仕事が立て込んでいるとき、無理やりジムに行く。昨年7月から通いだしgymた。有酸素運動をしてから、たっぷり筋トレ。私は肉体も精神も体育会系だと思う。

ただ夢中になってやり過ぎると、リンパ浮腫の左足首がどっかんと腫れる。後悔しつつ、その日の夜は入念にリンパドレナージュ。これがすっごく面倒でキライ。

表題が「ピンチ脱出法」なのに、ここんとこ、いまひとつ表題に合わない内容が多かった。少しずつ、楽しいことを探していきたい。

最近のお気に入りジムグッズ。ひとつは吉祥寺のオシュマンズで、クリスマスプレゼントにmasaが買ってくれたNIKEのトレーニングシューズ。もうひとつはスイス SIGGのボトル。これにアミノ酸系スポーツドリンクを入れてジムに持っていく。軽くて丈夫で便利。毎年新柄が発売されて、かわいいから、この先いろいろ欲しくなりそう。

※パンズはブツ撮りしていると必ず入ってくる。

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2006年2月27日 (月)

花爛漫のお別れ。

sumiさんは本当に草花が好きだった。

sumiさんがいたとき、私たちがいた病室のこと、私は「110号室ギャラリー」と呼んでいた。窓辺の棚の上は、季節ごとの行事に合わせてきれい草花の飾り付けが施され、訪れるナースやドクターの心まで和ませた。全部sumiさんがゆっくり、楽しんで作っていた。

私も仕事で様々なフラワーコーディネイトを見てきのだが、病室のとても小さな棚で、ここまで優しいコーディネイトできるとは…と、とても新鮮な感動だった。

そんなsumiさんの葬儀、告別式は都内郊外の小さな会場。でも美しい花がいっぱいで華々しsumiesan2かった。ふつう葬儀に枝ものは供えないらしいが、親族の希望で桜などの枝ものも飾られた。あんまり大らかな勢いのある花々に、気持ちがほっとしたぐらいだった。ただ、27歳の娘の胸に付けられた「喪主」の名札が付いた大きな造花は、胸を詰まらせた。

親族でもないのに火葬場まで行かせてもらった。焼かれる前のsumiさんは、まるで生きているようにきれいで、sumiさんの姉が最後の最後のお別れのとき、ほっぺをそっとたたいたり、こねくりまわしていた。「見てよ、こんなに柔らかいのよ」って。本当にフワフワ、白くてきれいな皮膚だった。焼かれた後、喉仏はきれいに残ったけれど、骨は粉々に小さくなった。若いけれど長く強い薬を使っていたからだと火葬場の人が説sumiesan4明した。

私もできることなら冬に死にたい。

昨年の夏に死んだ祖母は、お葬式のとき全身ドライアイスで 、皮膚の表面にまで霜が付いていて、肌の色も変わっていた。あの時、「あー。おばあちゃん、私が自慢だった別嬪さんが台無しだ。そうか、もうこの世のヒトじゃなくなっちゃったんだなぁ」って思ったな…。

そんなことを、私はsumiさんとのお別れに思い出していた。

いつか…。それはそんなに遅くないかもしれないけれど、すごく遅いかもしれない。私もまだ治療後2年だから、先は読めない。いつになるかわからないけれど、そのときが来たら、きっとあなたを探しに行くからね。そこは私にとって、とても居心地のいい場所だと思うから。

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2006年2月23日 (木)

桜は間に合わなかった。

2月21日夜、sumiさんが息を引き取った。

私は2003年12月末、子宮頚部のリープ円錐切除術を受けた。でも切除した断端にがん細胞があったため、リンパまで浸潤していることがわかり、翌2004年1月に広汎子宮全摘出手術を受けることになった。1月19日再入院。4人部屋の病室にひとりいたのがsumiさんだった。カーテンがしまっていたけれど、私の好きな洋服屋「ハリウッドランチマーケット」の紙袋が棚においてあり、「気が合うかも」と思った。

入院荷物の整理が終わった頃、友人がやってきた。笑いながら話していたら友人の携帯からいきなり着信音。「大丈夫だよ、婦人科だから」と私が言ったら、カーテンの向こうから「携帯切ってください! だめなんですよ!」ってsumiさんの激怒の声。はじめて聞いた声はとても怖かった。sumiさんのベッドにはナースが慌しく出入りしていた。

夕方になってはじめて姿を見せたsumiさんは、頭に日本手ぬぐいをきれいに巻いていた。この日、彼女は抗がん剤治療だった。

その日からsumiさんが亡くなるまでの約2年1ヶ月。sumiさんは私の人生に大きな影響を与える人になった。純粋で潔白で前向きで、あんな大人、私は知らない。sumiさんは死ぬことを受け入れると言ったが、私のために死んでもらっては困ると思っていた。

もうひとり忘れられない人がkankoさん。sumiさんと私のいた病室に、毎水曜~土曜だけ抗がん剤治療にやってきた。母よりも年上だったが、海外旅行の話しやお茶の趣味で気が合い、大好きだった。くだらない下ネタが好きなのも私に似ていた。歳を感じさせない若い感性をもっているけれど、彼女の話から学べるものがたくさんあった。抗がん剤が終了してわずか3ヶ月、子宮体がんから肝臓がんへの転移が見つかった。kankoさんは家族に問題を抱えていて疎遠になっていたので、末期の看病のほとんどをsumiさんが行っていた。kankoさんは2004年雪の降る大晦日に亡くなった。

私が治療のときはまだ元気で、私のことを励ましてくれた人が他にも6人亡くなっている。指折り数えるのがイヤで意識的にやらなかった。でも今日数えた。大切な人、8人が亡くなってしまった。

私が術後の熱やおしっこ訓練や、治療、それからリンパ管炎の痛みや熱で苦しかったとき、励ましてくれたり笑わせてくれた人たちは、なぜみんな亡くなってしまうのだろう。私みたいに今なんでもない人と、亡くなってしまう人がいるのはどうしてだろう。生存率…というのがある。知っているけれど、わからない。悲しすぎてどうしようもない。

今日、診察で午後病院に行ったとき、sumiさんは解剖が終わり、病院を立つときだった。病棟のナース(私もsumiさんも信頼していたし、スキだった)が見送りに降りてきた。私が名前を呼ぶと振り返って泣き顔。「なっちゃんはsumiさんのぶんまで頑張って生きなさい」

ありがとう。でもしばらくは頑張れない。

sumiさん、春まであと少しだった。おいしいお茶を飲みながら、一緒に桜、見たかった。

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