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2006年2月23日 (木)

桜は間に合わなかった。

2月21日夜、sumiさんが息を引き取った。

私は2003年12月末、子宮頚部のリープ円錐切除術を受けた。でも切除した断端にがん細胞があったため、リンパまで浸潤していることがわかり、翌2004年1月に広汎子宮全摘出手術を受けることになった。1月19日再入院。4人部屋の病室にひとりいたのがsumiさんだった。カーテンがしまっていたけれど、私の好きな洋服屋「ハリウッドランチマーケット」の紙袋が棚においてあり、「気が合うかも」と思った。

入院荷物の整理が終わった頃、友人がやってきた。笑いながら話していたら友人の携帯からいきなり着信音。「大丈夫だよ、婦人科だから」と私が言ったら、カーテンの向こうから「携帯切ってください! だめなんですよ!」ってsumiさんの激怒の声。はじめて聞いた声はとても怖かった。sumiさんのベッドにはナースが慌しく出入りしていた。

夕方になってはじめて姿を見せたsumiさんは、頭に日本手ぬぐいをきれいに巻いていた。この日、彼女は抗がん剤治療だった。

その日からsumiさんが亡くなるまでの約2年1ヶ月。sumiさんは私の人生に大きな影響を与える人になった。純粋で潔白で前向きで、あんな大人、私は知らない。sumiさんは死ぬことを受け入れると言ったが、私のために死んでもらっては困ると思っていた。

もうひとり忘れられない人がkankoさん。sumiさんと私のいた病室に、毎水曜~土曜だけ抗がん剤治療にやってきた。母よりも年上だったが、海外旅行の話しやお茶の趣味で気が合い、大好きだった。くだらない下ネタが好きなのも私に似ていた。歳を感じさせない若い感性をもっているけれど、彼女の話から学べるものがたくさんあった。抗がん剤が終了してわずか3ヶ月、子宮体がんから肝臓がんへの転移が見つかった。kankoさんは家族に問題を抱えていて疎遠になっていたので、末期の看病のほとんどをsumiさんが行っていた。kankoさんは2004年雪の降る大晦日に亡くなった。

私が治療のときはまだ元気で、私のことを励ましてくれた人が他にも6人亡くなっている。指折り数えるのがイヤで意識的にやらなかった。でも今日数えた。大切な人、8人が亡くなってしまった。

私が術後の熱やおしっこ訓練や、治療、それからリンパ管炎の痛みや熱で苦しかったとき、励ましてくれたり笑わせてくれた人たちは、なぜみんな亡くなってしまうのだろう。私みたいに今なんでもない人と、亡くなってしまう人がいるのはどうしてだろう。生存率…というのがある。知っているけれど、わからない。悲しすぎてどうしようもない。

今日、診察で午後病院に行ったとき、sumiさんは解剖が終わり、病院を立つときだった。病棟のナース(私もsumiさんも信頼していたし、スキだった)が見送りに降りてきた。私が名前を呼ぶと振り返って泣き顔。「なっちゃんはsumiさんのぶんまで頑張って生きなさい」

ありがとう。でもしばらくは頑張れない。

sumiさん、春まであと少しだった。おいしいお茶を飲みながら、一緒に桜、見たかった。

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コメント

こんばんわ・・・・・・・・・・・・
本当に悲しすぎて、つらすぎて・・・・・。 でも
sumiさんも、kankoさんも、みててくれてると思うから元気だして。

投稿: taeoka | 2006年2月23日 (木) 20時07分

ありがとうございます。しばらくはピンチ脱出できそうにありません。でも生きているんだから、これから先、頑張らなくてはね。

投稿: ナツ | 2006年2月23日 (木) 23時44分

そうか、桜、間に合わなかったか。。。
生きていこう、ナツ。
それしかないから。

投稿: uesakana | 2006年3月15日 (水) 15時26分

見に来てくれてありがとう。ちと恥ずかしい。生きていこうね。
これから楽しいこともたくさんしよう。
咲いたら…
夜桜でも見に行きませんか。

投稿: ナツ | 2006年3月15日 (水) 16時57分

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