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2006年1月25日 (水)

朋友へ送ったメール。

きっとまだ忙しくて大変ですよね?

でも待ってます。
手が空いた日、急に連絡くださってもいいです。いつでもウチにゴハン食べにきてください。
私、今日は病院でした。採血と内診。その後、例の友人のお見舞いに行ったら(今年4回目に会うんですけどね)、ますます生きる力に溢れていたのでした。
昨年末、年明けまできっともたないと思っていたんです。そんなこと他人が…。あんまりひどいですよね。本当にすごい回復力なんですよ。もう抵抗力はなく、いろんな病気に感染していているようですし、床ずれもいっぱいなのに、それでも笑顔を何度も見せて、私に力をくれたんです。

おかげで私はすごく元気になっちゃったので、貴方さえよかったらおすそ分けさせてください。
きっと来てくださいね。でもプレッシャーになりませんよう。
ゆっくり待っています。

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2006年1月10日 (火)

ナースに泣かされる。

リニアック(放射線治療)をしていたとき(1年10ヶ月前)、放射線科に私と同じ歳のナースがいた。

いつも頭ボサボサで声も大きくて乱暴っぽいイメージだけれど、気遣いができるし機転もきく。私に向かって「同じ歳ね!」と彼女から言ってきたのだった。ナースキャップにラインが入っていた。その時、同年代なら早い出世だろうと思った。

そして今日、整形外科に行ったら受付に彼女がいた。

1ヶ月半前から右首から肩にかけて寝違えたような弱い痛みが続き、いっこうに治まらないので、やはり転移を心配して病院に来たのだった。

「知ってる名前だなと思ったけれど、初診ってあったから。問診表にね、よかったら手術したときとその後の経過を書いて」と言われ…。呼ばれると診察室にそのナースがやって来て私の病歴の説明をしてくれた。診察室の担当ナースは別にいるし、ドクターは5人くらいいて、よっぽど気をつけていないと私が呼ばれたことなど気づかないはずだ。

首を曲げたり触診してもらった後「筋だと思うけれど念のためにレントゲンを撮りましょう」とのこと。整形外科はその日のうちにレントゲン撮ってくれて、その日のうちに結果が聞けるらしい。不安を抱えて過ごさなくていいのは何よりうれしい。撮影後、再度呼ばれて診察室へ。「骨には異常はないけれど、年に1度骨シンチを調べてもらうよう、先生に話して」と。

やはり癌に関わることは婦人科のドクターに一本化したほうがいいということなのだ。納得。

「椎間板も普通より広くてきれいよ」と言われ、思わずうれしくて(それがなんなのかよくわかんないけれど)笑ってると、あのナースがやってきた。「笑ってるところ見ると結果よかったのね。よかった!」と。

診察室を後にして会計に向かって歩きながら、思わずうれし涙があふれた。

それと同時に、同じ建物の中で、生死をさまよっているsumiさんのことを思い、どうしたらいいかわからない気持ちにもなった。

しかしその後、病室を訪れたら、彼女は奇跡的に回復し、意識を取り戻していた!彼女の姉は「いろいろ思い出してワガママ放題言うけれど、言葉がわからなくて困る」とうれしい悲鳴を上げた。

5時間くらい病室で話をして、夕方帰る。キライな冬の冷たい風のにおいが気持ちいいと感じたのは初めてかも知れない。

masaに今日のナースのことを話すと、「ホテル並みのサービスだ」と。彼らしい言葉だ。

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2006年1月 2日 (月)

生かされている。

sumiさんの娘はのんびり屋でちょっとアワテンボ。

sumiさんから頼まれた用事で銀行に行くため、娘は慌てて病室から駆け出して、忘れ物をする。私は追いかけて忘れ物を届け、戻るとにsimiさんは私に向かって「死ぬに死ねないわ」と小さく笑った。

娘は25歳。母ひとり、子ひとりの母子家庭で、娘は大事に育てられたようだ。お金のこともゴハンのことも苦労させないとsumiさんは渡せるものを渡してきたそうだ。娘が小学校のときに離婚した元夫に対するsumiさんの複雑な思いも、彼女に向けられたのかもしれない。私から見ると娘はsumiさんの子供であり、友達で、妹で、彼氏のようだ。愛が複雑になっている。私の印象として、sumiさんの娘は情緒の豊かさはあり余るほどだが、社会性に欠けるものは否めなかった。

sumiさんの姉は「あの子はいつ死んでもおかしくないのよ。でも娘を成長させるため、いまは生かされているの」と言う。生かすのは神様なのか誰かわからないけれど、そういう時間はあるんだろう。

その言葉を聞いたとき、自分のことを思った。昨年8月、祖母は母に悔いのないよう生かされた。母は祖母と長年暮らせなかった。30年来の添い寝をする時間を持つために祖母は生かされたのだ。

そして6年前に亡くなった義母も然り。危篤で駆けつけたがもう意識はなく、延命治療f行わなかったがそれでも4日間心臓が止まることはなかった。masaは「死を理解する時間をもらった」と言った。その時間、義母は生かされていた。

sumiさんはもう何も飲み食いできない。痰も自分で取れない。ほとんど話せない。でも時々歯を食いしばって気力を見せる。生かされている…いや、今は生きているんだ。

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